どうも河野圭祐です。いつもご覧いただきありがとうございます。
今回は、『社会の理不尽に苦しんでいる人へ、人生の理不尽をチャンスに変える方法とは』、というテーマでお話ししていきます。
あなたは生きていく中で、”理不尽”だと感じたことはありませんか?
自分は悪くないのに怒られる、責任を押し付けられる、逆切れされる、言っていることとやっていることが違うなど、生きていれば理不尽なことはたくさんありますよね。
そんな理不尽なことを、あなたはどんな風に考えていますか?
理不尽は悪であり、経験しないほうが良い事だと思っていませんか?
もし、そうだとしたら、その考えは間違っています。
なぜなら、理不尽とは生きている以上は必ず起こり、避けては通れないものだからです。
自分の人生が幸せになっていくかどうかは、この理不尽とどう向き合っていくかで決まっていくものなんです。
理不尽を受け入れず、納得できないと文句を言うことは誰にでもできますが、その人に待っているのは、人のせいにしてばかりの不満だらけの人生です。
今回お伝えしたい結論は、幸せな人生を送りたいのなら、主体的な行動で理不尽をチャンスに変えていくしかないという事です。
理不尽は辛く厳しくあなたに襲い掛かり、恐怖すら感じるかもしれません。
しかし、今回の記事で、理不尽というものを正しく理解することができれば、あなたも必ず”理不尽”に立ち向かうことができます。
今回は、「理不尽に苦しんでいる」「理不尽が受け入れられない」「もっと前向きに生きていきたい」、そんなあなたにお勧めの内容になっています。
僕が過去に経験した、理不尽を乗り越えた実体験も交えながら、3分を目安にお話ししていきます。
インスタントスタディ、スタートです。
社会の理不尽に苦しんでいる人へ、人生の理不尽をチャンスに変える方法とは
理不尽に立ち向かうためには、まずは人生のほとんどが理不尽だと理解することが必要です。
理不尽は学生時代にまじめだった人ほど、社会に出て理不尽を感じます。
なぜなら、学校は言われたことを正しくできる人が正義だと教わるからです。
しかし、社会に出れば正しく行っていても、理不尽に怒られることもあれば、全く評価されないことが当たり前です。
つまり、理不尽であることのほうが普通であり、納得できるケースのほうが極めて珍しい事だと理解する必要があるんです。
人生はほとんどが理不尽だと理解しよう
理不尽に負けない自分になるためには、まずは人生のほとんどは理不尽なんだと理解しなければなりません。
例えば、容姿にしてみたら、いくら欧米人のような顔立ちやスタイルになりたいと願っても、日本人に生まれた以上はほとんどが叶いません。
親を選べるわけでも、ゲームのように容姿を変えられるわけでもない以上、この理不尽から逃れる事はできません。
もっと大きな視点の話をすれば、裕福な家庭に生まれた人と、今日食べるものにも困る家庭に生まれた人とでは、あきらかな理不尽が発生します。
さらに、震災、災害、コロナなどで亡くなられた方は、その運命に争う事も許されず、理不尽に命を奪われていきました。
つまり、生きている以上は必ず理不尽というものが存在し、人生におけるほとんどの事が理不尽と隣り合わせになっているんです。
この理不尽の前に人間はあまりに無力であり、理不尽を受け入れていくしかないんです。
しかし、人間には誰にでも平等に幸せになる権利があります。
そして、幸せな人生にしていきたいのであれば、理不尽を受け入れた上で、自分主体に考えていくしか方法はありません。
こんな見た目に生まれなければ…こんな家に生まれなければ…コロナさえこなければ…
このように原因を周りに押し付けて、文句ばかり言っている人間に待っているのは、止まることのない理不尽に苦しみ続ける、地獄のような毎日です。
理不尽な状況を打破していくためには、自分を変えていく以外に方法はないんです。
高校野球での理不尽な体罰
僕は高校時代は野球部に所属していましたが、体育会系の部活はまさに理不尽の塊のようなところです。
僕が高校時代に受けた理不尽な経験は体罰です。
僕は2年時に学年の代表をしていたのですが、正直一つ上の先輩とはうまくいっていませんでした。
理由は、自慢ではありませんが僕達の世代は先輩達よりも遥かに実力があり、僕も1年時からベンチ入りをし、2年時にはすでにクリーンナップを打っていました。
そんな僕達を先輩達はよく思わず、特に学年の代表をしていた僕は、よく理不尽な体罰を受けていました。
どんな理不尽かというと、他の選手が集合の時に歩いていた、声が出ていなかったという理由で、僕が責任を取ってケツバットをされていたんです。
ケツバットはバラエティ番組で使われるようなバットなら良いのですが、鉄の塊の金属バットで思い切り殴られると、しばらく立ち上がる事ができないほどの痛みが襲い、何週間もお尻にアザが残ります。
自分がしたわけでもない責任を取らされて体罰を受けるなんて、まさに理不尽としか言いようがないですよね。
僕はそんな理不尽をする先輩達を本気で憎んでいましたが、同時に自分がこの理不尽に立ち向かう最善の方法はなんなのかを考えました。
そして、僕が出した答えは、自分達の世代で体罰を終わらせる事でした。
世代に切り替わって初めでするミーティングの時、僕は後輩達に「俺達はお前らに体罰を絶対にしない。だからお前らも後輩にするな。」と伝えました。
その時はそれが正解かどうかもわかりませんでしたが、30歳を過ぎてから後輩と再会した時、「河野さんが体罰を無くしてくれましたよね、僕達もしませんでした!」と聞いた時に、正しい立ち向かい方をしたんだと思う事ができました。
主体的な行動が理不尽をチャンスに変えていく
僕は決して体罰から逃げるなと言っているわけではなく、体罰は100%悪であり状況によって逃げるべきです。
僕が言いたいことは、理不尽は決して悪いものではなく、自分を成長させる大きなチャンスになるという事です。
先輩達から体罰を受けていた時、理不尽を受け入れられず、先輩に復讐をしたり、後輩にも同じ理不尽を味合わせたりしていたら、僕はサイボディを経営することができていたでしょうか?
「先輩たち」「後輩たち」、そんな他人を軸に考えるのではなく、僕は「自分がどうしたいのか」という、自分の軸で考えて行動したんです。
確かに自分への理不尽を止めることはできませんでしたが、僕は自分が正しいと思う形で理不尽に立ち向かい、野球部から体罰を無くすというもっと大きなこと成し遂げたんです。
その経験は今でも自分の中での軸となって、サイボディの経営に大きく活かされていると実感しています。
人生は短期的な目線で得な行動をとり続ければ、結果的に大きな成果を得ることはできません。
なぜなら、どこかで必ず理不尽にぶつかり、損をしなければならない時がくるからです。
その理不尽にぶつかった時、他人のせいにして損なことだと思うのか、自分主体で考え成長するチャンスだととらえるのかで、人生は大きく変わっていきます。
自分を成長させ、人生を幸せなものにしていくのは、「自分はどうしたいのか」「自分はどうするべきなのか」という、主体的な行動です。
ぜひあなたも、理不尽というチャンスを活かし、幸せな人生を手に入れてください。
河野的まとめ
今回は、『社会の理不尽に苦しんでいる人へ、人生の理不尽をチャンスに変える方法とは』、というテーマでお話させていただきました。
本記事での結論は、以下の3つになります。
- 人生はほとんどが理不尽だと理解しよう
- 主体的な行動が理不尽をチャンスに変えていく
- 理不尽は成長する大きなチャンスになる
理不尽は本当に受け入れがたく、文句を言いたくもなりますよね。
でも、理不尽に文句を言うことは、子供が遊びの時にズルをされて、ズルい!ズルい!と駄々をこねているのと同じです。
そんなことしていても何の解決にもなりませんよね?
子供であれば大人が入って解決してくれますが、社会に出れば自分でなんとかしなければなりません。
問題を解決していくには周りに責任を押し付けるのではなく、自分に責任を求めることが必要です。
あなたの人生の責任者は、あなた以外にはできないんです。
今日もあなたが豊かな一日が送れる事を心から願っています!
この記事へのコメントはありません。